2009年11月度 御講原稿
『兄弟抄』より三障四魔に負けない信心ついて
此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。 (御書986頁)
仏教で重んじる修行というのは、どういうことでしょうか。一般的に修行というと何か特別なこと、特別な境地を目指して行うように思われる向きもありますが、決してそうではありません。我々が生涯を送っていくのも、大事な人生修行なのです。
リンカーンは人を採用するときに、相手の顔の相を見て採用は否かを判断したといいます。つまり十代・二十代の若者ならばいざしらず、四十代を過ぎればその人の生き様が顔の相に表れます。人間四十を過ぎれば、自分の顔に責任を持つべきであると、リンカーンはそういう考えだったのです。したがって、人生を修行ととらえるならば、四十歳も過ぎれば、我々もまたそれなりのものが、顔の相として表れてこなくてはなりません。
現在先進国が中心となって、宇宙ステーションに長期滞在する実験が行われています。生来人類が宇宙空間にも永住できるようにするための試みです。しかし、そうした実験を進めていく中で、宇宙ステーションにいる実験者の骨が次第に失われ、骨粗鬆症のような症状が起きているそうです。これは通常は骨格の古い部分は溶け出し、その分新しく造られた骨に替わっていく作用が、人体の中で行われているのですが、しかし重力の無い宇宙空間では、人体の造骨作用は行われず、骨が次第に薄くなってしまうというのです。
このように、地球は重力という形で、我々の身体にプレッシャーを掛けていますが、そのプレッシャーがあってこそ、我々も生存できるのです。私たちの信心でも、プレッシャーがあればこそ、真剣に信心を続けられるのではないでしょうか。
さて、本日拝読の『兄弟抄』ですが、我々の仏道修行にも必ず魔というプレッシャーが競い起こるのであり、とりわけ天台大師の『摩訶止観』には、魔が競わなければ正法ではないとまで説き、それを日蓮大聖人は文証として挙げられています。そのような事を含めて、仏道修行の秘決を御教示された御書として、この『兄弟抄』を拝読したいと思います。 『兄弟抄』は、鎌倉幕府の作事奉行をしていた池上宗仲・宗長兄弟二人に与えられた御書ゆえに、このように呼ばれています。
二人はいつの頃からか、深く日蓮大聖人の教えに帰依をしていましたが、父康光は極楽寺良観の信者でした。良観は鎌倉で北条氏の庇護のもとに律宗を弘めており、極楽寺も北条氏の建てた寺院です。良観は当時の人々に生き仏のように敬われながら、政治的にも宗教界にも、大きな影響力を行使していました。日蓮大聖人を竜口で斬首するよう平左衛門尉頼綱に働きかけたのも良観であり、大変な策略家でした。
その良観に唆されて、池上兄弟の父である康光は、何とか兄弟二人の法華信仰を退転させようとしていました。そこで康光は、より強盛な信心をする兄の宗仲の方を勘当するのです。この頃の武士にとって、親から勘当されることは大変な事態で、生活の糧の一切を奪われ、自分に従う家人や郎党まで路頭に迷わせることになるのです。
しかしそうした時に、日蓮大聖人はこの『兄弟抄』を送られ、二人の信心を励まされました。この期待に応えて、兄はもとより、信心を一層堅固に続け、弟の兵衛志宗長の方も、兄と心を合わせて法華経の信心を続けていきました。父は仕方なく、宗仲の勘当を一度は解いたのです。
ところが今度は、良観から一段と厳しい教唆があったのでしょう。一年ほどすると、兄宗仲に二度目の勘当が言い渡され、弟の宗長に対しては、家督を譲るから、法華経の信心をすぐに止めるように、迫ってきました。
日蓮大聖人は再び書状で励まされました。それによって信心のいささか弱りかけた弟宗長でしたが、ついに退転することなく信心を貫ぬきました。そうこうするうちに、父の方が反対に、折れざるを得なかったのです。余りにも良観の要求してくることが、理不尽だと感じたのではないでしょうか。
間もなくして康光は兄の勘当を解き、それのみならず、自らも念仏を捨てて法華経を持つようになり、法華経の信者として臨終を迎えています。まことに兄弟の強盛な信心の賜物でしたが、日蓮大聖人は事態が展開するごとに、二人の信心を心から励まされました。特に信心の弱い弟兵衛志に出された御書がほとんどです。この『兄弟抄』も「別して兵衛志殿へまいらせ候」(御書987)との但し書きがあります。また二人のそれぞれの夫人に対しても、信心の指導をされていますが、弟兵衛志の心が最後まで揺るがなかったのが何より幸いでした。
池上兄弟の信心はこのような経過をたどって、父をも正法に帰せしめることができたのです。ところで、日蓮大聖人はその二人を勇気づけるために、『兄弟抄』には逸話を数編引いておられますが、とりわけ白夷(はくひ)・叔斉(しゅくせい)の話はまことに示唆に富んだ話です。中国の『史記』列伝第一に出ています(御書983㌻1行目)。
白夷と叔斉は胡竹国(こちくこく)の二人の太子でした。父の王様は弟叔斉に位を譲ると言い残して、息を引き取りました。ところが父が死んでも叔斉は、「自分は王位に就かずに兄に譲る」という。兄の白夷は「親の遺言を違えてはならぬ」とばかりに、弟に王位に就くよう強く勧めました。こうしてお互い譲り合って決着はつかず、二人はともに国を捨てて、周の国に行って、文王にしばらく仕えました。
ところが周では文王が死ぬと、息子の武王は喪が明けないうちに、殷の紂王を討つ戦を起こそうとしました。白夷と叔斉は武王を諫めました。「喪の期間は戦を起こさないのが孝養です」と。しかし武王は聞き入れるどころか、反対に二人を成敗しようとしました。そこに太公望という有名な臣下が王を制止して、事なきを得ましたが、二人は「この王様にはとても付いていけない」と王宮を離れました。
そして首陽山に入ると、蕨を取って何とか命を繋いでいました。ところが通りかかった人から、「そこに生えている蕨も王の物ではないか」と言われました。なるほど、考えてみればその通りであります。こうして二人は蕨も食べられなくなり、餓死せざるを得なくなりました。すると天は賢人を見捨てないと言いますが、白い鹿が二人の前に現れました。二人はその鹿の乳を飲んで、命を繋ぎました。
そうこうするうちに、叔斉はふと「白鹿の乳を飲んでもこれほど美味しいのだから、まして肉を食べたらなお美味しかろうな」と言いました。白夷はあわてて制しましたが、天はこれを聞いていたのか、二度と白鹿が現れることはなく、白夷・叔斉はともに餓死してしまいました。
日蓮大聖人はこの逸話を紹介され「一生の間賢人として過ごしても、たった一言で身を滅ぼすことがある」と仰せられました
池上家では父康光が、良観に唆されるままに、勘当するぞという脅しで、宗仲・宗長兄弟の信心を退転させようと迫っています。それに健気に耐えている二人でしたが、しかし、僅かな気のゆるみがあるならば、たちまち魔が入り、とりわけ信心の弱い弟の信心がぐらついて、籠絡されてしまわぬとも限りません。
まことに白夷・叔斉の逸話はそのまま、宗仲・宗長兄弟に対して、時を得た教訓でした。しかし、日蓮大聖人はこの譬えを引かれた後に、御法門の上から真の信心の有り様を御教示されています。
『摩訶止観』第五に、「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふ べからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを 妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝 へて未来の資糧とせよ。(御書986)
と。いざ仏道修行をして、さあその目的を達しようとするときには、三障四魔が紛然と競い起こるんだと、天台大師は説いています。
三障四魔のうち三障とは、煩悩障・業障・報障で、正道を妨げる三つの障害のことです。そのうち煩悩障は貪瞋癡という、我々衆生に本然的に具わっている煩悩が元になって、修行に障りを為すことです。
業障とは、過去の五逆・十悪などによる宿業によって、我々の修行の障りをなすことです。そして報障とは、宿業による苦果が、修行の障りをなすことです。
四魔というのは、衆生を悪道に引き入れる魔を、四通り挙げたものです。煩悩魔・陰魔・死魔・天子魔の四通りですが、煩悩魔は自らの煩悩により苦しむこと。陰魔とは、五陰(色受想行識)の調和を乱して、修行させまいとする用きです。
死魔は死によって修行が妨げられること。天子魔は欲界に住む第六天の魔王が、人の善行を妨げることです。
このように、言葉の上では詳細に説明されますが、我々の修行を妨げようとする用きは、様々な形をもって迫ってくるのです。そして日蓮大聖人は、
此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧 とせよ。(御書986)
とまで、仰せられています。
天台大師が本懐として説いた『摩訶止観』の、しかも一念三千を明かす箇所に説かれたのが三障四魔です。それほど仏道修行において、三障四魔は大きな妨げをなすのです。
末法の私たちにとっては、池上兄弟が受けたような信仰上の障礙が挙げられます。この三大秘法を正しく信心しようとする上に、三障四魔は常に入り込むすきを狙っているというように、私たちは常に心得ておかなくてはなりません。
皆様が信心を根本として三障四魔を信心の利剣で断ち切り、大きな功徳を得られ、幸せな家庭、幸せな境涯、幸せな社会を築かれますよう心よりお祈り申し上げ、今月の法話に代えさせて頂きます。