Nichiren Shoshu

Myoshinji Temple

平成22年(2010)3月度御報恩御講

「先祖供養の大事について」

故人への追善供養は、私達仏教徒として忘れてはならない大切な基本的心構えの一つであります。

日蓮大聖人は『報恩抄』に

夫老狐は塚をあとにせず、白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごと   し、いわうや人倫をや。(中略)いかにいわうや仏教をならはん者の父母、   師匠、国恩をわするべしや。                    (御書999頁)

と仰せられ、知恩報恩の大切さを説かれています。すなわち父母の恩を知るという事がまず人としての条件であり、恩を知らない人は畜生にも劣ると云われています。 人間は、まず親の恩を知って、始めて一人前の大人としての知性と理性を持つ事ができるのであります。さらに仏教徒として大切な事は、その恩を報ずるということであります。仏教の教えでは、恩を報ずるとは、単にもらった恩をもらった人に返す事ではなく、人の心を理解し、感謝の気持ちを持ち、自分自身が他の人に対して善行を行えるような人になって、初めて報じたと云えるのです。

さて故人に対する報恩感謝が大切な事は、今まで色々な機会を通じて、習ってきている事と思いますが、この思想を更に深いものにしたのが先祖への供養であります。日蓮正宗では伝統的に朝晩の勤行で必ず行う事ですが、先祖の供養は、アジアに住む人々に取っては習慣となっている事でも、西洋の人々にとっては耳新しい事かもしれません

ご存知の通り、仏教思想の基本は縁起にあります。全ての存在は、人と人との出会い、人と事件との出会い、人と物との出会いによって、生命が発動し、喜怒哀楽等の感情が生じ、その心が様々な振る舞いとなり、それが人の業という未来を作る因となり、また新たな生命が作られるのです。すなわち人や物との縁が存在の始まりであります。

近い所では、父と母の出会いが今の自分の始まりであります。父も母もそれぞれが人としての、向上心や希望を持って成長し、縁あって出会い、夫婦となります。夫婦は幸せを願い、家庭を作り、そして子供が生まれます。その夫と妻は、父母としての心が生じ、強い愛情と情熱と夢を持ち 、いかなる苦労も財産もいとわずに子供を育てます。その父と母の真心と努力の結果、社会で生きて行ける常識人としての感性を持った子供が育つのです。

仏教の教えに照らしてみるならば、今の自分の生命は、自然に生まれた訳ではなく、また人は何か他の存在によって作られるのでもなく、遠い過去からの因縁と、親の心と振る舞いの結果であります。人の成長過程では、父母の教育が基盤となり、父の振舞いを見て社会の男性を学び、母の振舞いを見て社会の女性を学びます。そして普通の人として社会で生きて行けるのです。親もまた、子供によって人生を学びます。言い換えれば、親子の関係が、親子の人生を作っているわけです。親の人生と子供の人生が同じ方向性を持ち、似たような人生を歩むのは、深い過去からの縁によるからです。この深い親子の縁は、互いの存在を作る働きでもあり、切る事のできない一体の生命でもあります。

日蓮大聖人は『忘持経事』に

我が頭は父母の頭 我が足は父母の足 我が十指は父母の十指 我が口は   父母の口なり。譬えば種子(たね)と菓子(このみ)と身と影との如し。                (御書958頁)

と仰せられている如く、親の命と心と振舞いの結果である自分の命は、親の影響を受けているとともに、また自分の振舞いや心が親に直接的影響を与える永遠の関係であります。

全く同じように、それぞれの父と母も、突然父母になった訳ではなく、彼らの両親を持ち、同じように父母の厚い愛情、情熱と期待を持って育てられ、さらに祖父母もまたそれぞれの両親がいて同じように育てられ、更にその曾祖父母も彼らの父母がいて、同じように育てられました。これら過去の全ての父母の心や良い行いが伝えられて、長く深い縁が今日まで繋がり、全ての情熱と期待が生命の力となり、業となり、今の自分の中で生きているのです。ここに自分と先祖とのつながりがあります。

日蓮大聖人は『女人成仏抄』の中に

心地観経に云わく「有情輪廻して六道に生ずること猶車輪の始終無きが如   く或は父母と為り男女と為り生生世世互いに恩有り」等云々。                      (御書344頁)

と仰せられています。過去世を振り返れば、家族だけではなく、親戚や友人を含め、どれほどの縁有る人々に出会い、どれだけの人々の愛情に守られ、育てられてきたのか、数える事もできません。今、私達が正法に出会い、功徳を積む幸運に恵まれているのは、それらの過去の人々の真心と良き振舞いが凝縮して、善業となり、因縁によって仏教徒となったのであります。すなわち過去の縁ある人々の恩が今の自分の中に生きているのです。

またこの縁と言う働きは、過去から現在の自分へというような、一方的なものではなく、縁によって、私達の今の全ての振舞いが、遠い過去の父や母に影響を及ぼしているのであります。

これら縁ある人々の善き心と振舞いが、善業という三世につながる力となり、現在の自分を正法に縁する福運となる事は、法力の働きであり、正法に出会い信仰を始めることは仏力の働きであります。この法力、仏力は南無妙法蓮華経という法体の作用であり、 それは唯一法華経にのみ、成仏の法体が説かれているのであります。人生の最終目的は、最高の人格と人徳を備え、あらゆる福運を得た境涯となることであり、それを成仏といいます。それは法華経に説かれた一念三千を体得する事であります。日蓮大聖人はこの法体を御本尊として表し、私達末法の衆生に与えられたのであります。

日蓮大聖人は『盂蘭盆御書』に

目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、   父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏と   なり給ふ。            (御書1377頁)

 

と仰せられ、まず自分自身が御本尊様を受持して、境智冥合して成仏する事が大切で、その功徳は過去七代、未来七代までつながる自分との縁有る人々全てに及ぶと説かれています。御本尊様を受持することの前提として、仏教徒としての基本である報恩感謝の気持ちを持ち、先祖への深い因縁を理解して、供養の心を忘れずに勤行、唱題そして折伏に励んでこそ日蓮正宗の信仰となるのです。