2010年は立宗七百五十八年となります。この立宗とは、日蓮大聖人がはじめて南無妙法蓮華経と唱えてからの年数であります。今年は、日蓮大聖人がはじめて南無妙法蓮華経と唱えられてから、七百五十八年目に当たるのであります。
『諸法実相抄』に、
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつ たふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや (御書666)
とあります。今日蓮正宗は、全世界に広がり多くの人が南無妙法蓮華経を唱えています。御書の通りであります。しかしながら、日蓮大聖人がただ一人南無妙法蓮華経と唱えた時代は、当然のことながら、その時にはまだ誰も知らなかった訳でありますから、大変苦労をされたのであります。
日蓮大聖人の御一生は、大難・小難の連続でした。『聖人御難事』には、
此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、 天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の 中の大難申す計りなし (御書1396)
とあります。
その初めが、宗旨建立で南無妙法蓮華経と唱えられた時であります。建長5(1253)年4月28日、御歳32歳の時、ただお一人で南無妙法蓮華経と唱えられました。
南無妙法蓮華経と唱えられた確信の第一は、白法隠没の経文に照らして法華経こそが釈尊の最高の教えでありそれ以外の経々は、人々を不幸にすること、第二は、乱れている世の中を救ってゆくには、法華経に示されている妙法五字を「法華折伏破権門理」の志を持って、上行菩薩の使命を自覚することであります。特に身命を惜しまず精進していくには、一切衆生救済という大慈悲心と国の災難を払っていくという使命感からでした。『勧持品』に
と説かれるが如く、自分の身に様々な迫害が起ころうとも命をかけて南無妙法蓮華経を弘通し、末法の御本仏として不退転の決意を固められたのであります。是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無 上道を惜しむ(開結377)
日蓮大聖人は、16歳の時、千葉県・清澄寺で出家得度されました。十数年にわたり、京都・奈良などに勉学にまわられ、そこで不幸の根本原因が誤った教えにあることを知られたのであります。そして、この時代を救う方法が南無妙法蓮華経以外にないことを確信されたのであります。
しかし、一度これを言い出せば多くの大難が起こり、命にまで及ぶことは、法華経に明らかであります。しかし、日蓮大聖人はどんな災難や三障四魔が競い起ころうとも、民衆を救うべく、不惜身命の上からここに、立宗を宣言されたのであります。4月28日未明、御歳32歳の日蓮大聖人は、一人清澄山旭ヶ森に立ち、日の出を待たれました。やがて、水平線上にその姿が顕れると、日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と題目を、厳かに、力強く唱え始められたのであります。太陽をはじめ全宇宙の生命に対して、厳かな開宗の宣言をされたのであります。この題目こそ、今まで誰も唱え出すことのなかった自行化他にわたる題目なのであります。日蓮大聖人が唱えられた題目は、この法を信じる一念によって直ちに成仏するという前代未聞の教えであり、全ての人が等しく救われるという仏法なのであります。
やがて、多くの僧俗が集まり、日蓮大聖人の説法を聴聞していましたが、説法が進むにつれ、集まった人々が驚きを隠せなくなりました。
それは、末法という時代の説明から釈尊の仏法がすでに力を失っていること、特に禅天魔、念仏は地獄の法であることを強く訴えられたのであり、またこれらの諸宗を信仰する結果として世の中が乱れ、天災が起こることを説かれたのであります。そして、乱れた末法の世の中を救うには、南無妙法蓮華経以外になく、早く禅・念仏等の邪法を捨てて、この妙法を信じるべきであることを進められたのであります。このような未だかつてない説法に対して、それらを信仰している人達は、日蓮大聖人に怒りと、憎しみを覚えたのです。日蓮大聖人の立宗宣言は、このように、決して平穏とは言えず、大変な苦悩があったのであります。
しかしながら、立宗宣言により、末法万年の闇を救うという大慈大悲の上から死身弘法の決意で、立宗宣言されたのであります。日蓮大聖人は、立宗宣言以後、数々の大難に遭われています。『最蓮房御返事』に、
予が如く弘長には伊豆国に流され、文永には佐渡島に流され、或は竜口の頚 の座等、此の外種々の難は数を知らず(御書586)
松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、竜の口法難がありますが、小松原の法難では、日蓮大聖人御自身も額に傷を負われています。仏法上の大罪である五逆罪の一つに「仏身より血を出す」という罪がありますが、この時、日蓮大聖人に傷をつけた東条景信は、その後に狂死したのであります。
日蓮大聖人は、このように数々の難に遭われることを覚悟で、立宗宣言されていますが、全ては、世の中を救済する為であり、末法の法華経の行者が大難に遭うことは法華経に説かれている通りであります。
我々は今、日蓮大聖人の仏法を正しく信心することができ、折伏も自由にできる環境の中で、常に、日蓮大聖人の不惜身命の精進を以て広宣流布のためにひとりひとりが自行化他の信心に励んでいかなくてはならないのであります。今日蓮正宗は、新たな御命題に向かって前進し始めています。
御法主日如上人猊下は
人心が極度に混乱した濁悪の世の中を救っていく唯一最善の方途こそ、『仏法 は体、世間は影』の原理に随って末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の正法正義を 受持する我等一人ひとりが地涌の使命を自覚して、一切衆生救済の大願に立 ち、一人でも多くの人に妙法を下種し折伏を行じていくことであることを銘 記しなければなりません (大白法780号)
と御指南遊ばされました。
我々は、世の中が乱れきっている原因を知っています。すなわち、世の中の人々が皆正法を捨てて悪法を信じているために国を守るべき善神も聖人も皆去ってしまい、そこに悪鬼・魔神がすみつくからであります。全ての根本原因は邪義邪宗教がはびこっているからであり、それを取り除けるのは、我々日蓮正宗の僧俗だけであります。民衆救済・広宣流布の為に不惜身命の精神で折伏をやり抜いて行かなくてはなりません。
七百五十八年前、日蓮大聖人が唯一唱えられた題目を現在は、世界各地にわたって一同に唱えられることを思う時、常に日蓮大聖人の不惜身命の精進を肝に銘じ、精一杯題目を唱え、行動して参りましょう。 妙法の五字は世界に広がり、着実に前進しています。 さればこの経に値ひたてまつる事をば、三千年に一度花さく優曇華、無量無 辺劫に一度値ふなる一眼の亀にもたとへたり (御書355)
との御金言を拝する時、今生に生を受け値い難き仏法に値い、今又この上ない宗門繁栄の時に広宣流布のお手伝いが出来ることを喜び合って行き、平成二十七(2015)年、三十三(2021)年に向かって精進して参りましょう。
『日興遺誡置文』に曰く
未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事 (御書1884)